青湾と泉布観


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   大川の帝国ホテルの対岸には青湾という所があります。川の水の色も青みがかかり、豊臣秀吉は茶会でここの水を使ったそうです。茶人に大江青湾という茶人がいたとか、明使の献上した西湖の水を数壺湾に入れ、移植された西湖の柳が湾の水に青く映ったとか、青湾の名前の由来は幾つもあります。その後この水は、隠元禅師、売茶翁高遊外、田能村竹田、上田秋成らによっても茶を点てるのに用いられてきたそうです。


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    青湾の対岸、帝国ホテルの少し下流に泉布観という洋館があります。明治初期、造幣局が建てられ貨幣の鋳造が始まりました。今でも桜の通り抜けで有名な造幣局では、最初は多くのお雇い外国人の手で造幣事業が進められ、泉布観は彼らの宿舎になっていました。その後外国人が帰国すると、皇族の宿所となりましたが、明治天皇が行在したときに、泉布観と銘々されました。


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