河内の里 弘川寺 西行

 

西行の終焉の地、葛城山の麓の弘川寺に行きました。富田林からバスに乗り終点で下車です。紅葉には少し早いので、山は多彩な彩りです。
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西行に次のような歌があります。

      麓まで唐紅に見ゆるかな

             さかりしぐるる葛城の峰


西行記念館は後で拝観することにして、石段を上ると境内に出ます。中央が本堂です。
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本堂の右手の坂を登ると、西行堂があります。


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江戸時代、西行を慕って弘川寺に来た歌人浄土真宗の僧、似雲がここに開きました。似雲の歌です。
   

     須磨明石窓より見えて住む庵

                                 後につづく葛城の峰


      願わくは花の下にて春死なん

                                 その如月の望月のころ


西行は弘川寺で静養が功を奏し、京に上りそこで亡くなったとも言われます。有名なこの歌は弘川寺で詠まれなかったことになります。
また、次のような歌もあります。
   

    仏には桜の花をたてまつれ

                                   吾が後の世を人弔はば


西行墓所を見つけたのは似雲でした。


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西行墳で懇ろに弔って桜の木千本を植え、弘川寺は桜の名所にもなりました。後年、似雲が亡くなると傍らの似雲墳に葬られました。
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この広場は、嘗て善成寺の境内でした。後鳥羽上皇が病の折、弘川寺の空寂上人の加持祈祷により快癒したとして、勅願寺善世寺が建立されました。
また、西行が弘川寺に来たのも空寂の法徳を慕ってのことでした。
しかし、その養世寺も弘川寺も応仁の乱の頃、焼失してしまいます。弘川寺だけは復興しましたが、善世寺は境内だけになってしまいました。
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坂を下り返して本坊です。記念館は、見事な庭園の本坊と篠峯殿の奥にあります。
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全館の壁面の四分の一は、西行に関する書籍、資料で埋められています。
西行の和歌の正親町天皇宸翰古歌御懐紙は重要美術品であり、後鳥羽上皇勅願寺善成寺扁額、弘法大師坐像、空寂上人坐像も所蔵されています。
ゆっくりと拝観したあと、いま一度庭園を眺めます。
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樹勢が活かされているようで、海棠は樹齢350年の天然記念物です。
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弘川寺を辞去し、バスを待ちます。充実した時間です。 

     訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて

                               烟りを立つる弘川の里