太融寺さん

4回目のコロナワクチンは、扇町プールで受けました。会場は、以前、大阪扇町プールとして数々の記録が生まれ、水泳以外のスポーツ大会も数多く開かれてきましたが、20年前の国体の時に移転し、現在、扇町プールとして運営されています。

ワクチン接種は直ぐに終わり、近くの太融寺に行きました。繁華街の中心の大通りに面して位置していますが、扇町プール始め北野一帯はかつての境内だったそうです。 

821年、弘法大師は近くの森の木から、地蔵菩薩毘沙門天を彫り、庵を結んで安置しました。この話を伝え聞いた嵯峨天皇は、自身の念持仏、千手観世音菩薩を下賜し、それが本尊となり今に伝わります。843年、嵯峨天皇の皇子、源融公は、七堂伽藍を建立し、山号を大師の霊木に因んで佳木山とし、源融公の諱をとって後に太融寺と呼ばれるようになったようです。


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境内には、淀君の墓が鴫野より移され、追悼碑には昭和の漢詩人藤見東陽の漢詩が添えてあります。

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また、芭蕉の最後の句会の句碑があります。

斯波園女の宅の句会で詠んだ、

白菊の目に立ちて見る塵もなし、

が刻まれています。その後、程なくして松尾芭蕉は亡くなります。


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本堂の東側には、九山八海の庭が広がっています。
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九山八海は、須弥山を中心に九山が聳え、八つの海がその間に広がり、さらに外側を鉄囲山が取り囲むと考えられています。

この八海の庭をじっくりと体感すると、神羅万象宇宙の広大さを彷彿とさせてくれるようです。
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八海を飛石伝いに巡ることが出来るのです。 


瀧石組です。


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亀石です。
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須弥山になるのでしょうか。太融寺の由来が刻まれています。

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神仙島と、八角堂です。


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太融寺は、第二次世界大戦で全焼し、堂宇は多くの篤志家、信者さんによって再建されました。300年遡った大阪夏の陣でも、灰燼に帰しています。多くの犠牲と、復興の粘り強さを思わずにはおれません。

さらに私たちは、悠久の宇宙に思いを寄せることさえも出来るのです。


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南大門より、本堂を望みます。