浄土の庭 四天王寺
山歩きのリュックで首筋を痛めたので軽装で天王寺に出掛けました。四天王寺は日本最古の寺院のひとつですが、庶民的なお寺でもあり、山門は24時間開放です。広い伽藍の中の、極楽浄土庭園という日本庭園を拝観しました。武者小路千家木津宗泉が昭和8年に作庭し、浄土教の二河白道の教えを擬えているそうです。
入って少し行くと、釈迦の滝があります。
白道の両側には二本の河が流れています。
やがて瑠璃光の池に出ます。経典ではこの薬師瑠璃光如来の浄土は、宝石に満たされるとあります。
川を渡ると、青龍亭、臨池亭、和松亭の茶室があり、和松亭は松下幸之助の寄進です。コロナ禍のため抹茶の用意はありませんでした。
浄土の池には蓮が広がり、阿弥陀三尊石が鎮座します。
方丈の前には補陀落浄土の庭があります。補陀落浄土は観音菩薩の南方浄土で、かつて何人もの念仏行者が補陀落船に乗って、南の海の浄土に旅立ったそうです。 秀忠の時代の作庭ですが、現在の庭は明治時代に改修されたそうです。
比叡山 参籠路
登山アプリで比叡山を投稿する予定が、山中でインターネットが途切れ、誤って消去しました。写真は残っているので、再びハテナブログに投稿します。
1015比叡山坂本駅を出発です。
正面が八王子山で、日吉大社奥宮が望めます。
日吉大社の山門鳥居から左手に石段が続きます。
お地蔵さまの処まで登ると、東塔は近いのです。
根本中堂でお参りを済ませ、文殊楼から工事中の中堂を垣間見ることができます。
文殊楼です。
文殊楼境内の石碑は、日本と中国の仏教協会が、留学僧であった最澄と日中の文化交流を讃えた、十七文字の漢詩、漢俳詩です。
東塔を後に、弁財天堂に向かいます。
滝に打たれる行場です。
弁財天堂から東海自然歩道を行きますが、所々台風で道が崩れています。
殆どは広々として心地良い道です。立派な鳥居が幾つもあり、玉堂院という文字が見えるものもあります。反対の方向の無動寺谷の塔頭ですが、嘗ての頻繁な往来が偲ばれます。
「弁財天大道」という古い石柱もありました。
道は分かれますが、北白川、曼殊院に下ります。前半はコンクリート舗装の道ですが、後半は崖崩れと苔蒸した足場のない渓流が続き、時間を要します。
漸く自動車道路に降り立ちました。
道標は、至極あっさりと、「比叡山」とあります。帰宅して調べてみると、避けたほうが良いという注意書きが見つかりました。
下山は午後5時です。
比叡山
比叡山に登ろうと何時になく早寝をしましたが、とても6時起きする気になれません。ぐずぐずして家を出たのが8時半、どちらに行こうか迷った末に、近くのJR駅からは反対方向の駅までは、そんなに時間が違わないので、新大阪から叡山坂本へ向うことにしました。かくて坂本からの歩き始めは1015、早くはないが、頃良い時間です。
登り始めは日吉大社東本宮から、
奥本宮までは軽トラックの通れる道ですが、高度は稼げます。
奥の八王子山は神域で禁足です。
三石岳まで緩やかな山道で、途中から横川への広い林道に出ます。恵信僧都の御堂です。深遠な著述はここで書かれたのでしょうか。
横川中堂で、お香を買いました。
比叡山西塔まで歩けば1時間余りですが、シャトルバスにのります。
常行堂と法華堂です。
西塔釈迦堂は現存最古のお堂とか。
伝教大師最澄の墓所は静謐な聖域です。階段を上り、弁慶水を過ぎ、東塔に向かいます。
東塔は、阿弥陀堂と現在工事中の根本中堂です。内陣は以前の通りです。根本中堂を出ると、文殊堂を見上げることが出来ます。
方方に白いテープが釣り下げられています。翌21日、比叡山国際トレイルランが開かれ、多くの参加者が25、50キロ走歩行されるので、ルートを表示しているのでした。
山頂は準備で賑わっていたので、無動寺谷を下ることにします。多くの堂宇を抜け、玉照院を後に山道を下って行きます。
途中、鎖場もありました。
坂本、松が馬場駅には5時半ころ着きました。
四條畷より室池、生駒山中腹から石切駅
我が末娘ニキタ
我が家の末っ子の猫、ミスニキタです。五年前にもらわれてきました。厚手の小判のハンカチの上でよく寝ていましたが、小さくて踏んだらいけないので、暫くの間人間は足袋を履いて歩いていました。直ぐに大きくなりましたが、黒い毛は全身モジャモジャて、尻尾の長さと太さが体のそれと同じ体型となる不思議な時期が暫く続きました。猫の種類をネットで調べると、serkirk rexと、アメリカで名前がつけられ、ハンガリーやペルシャ猫の血を引いているそうです。成長するに従い、体型も普通の猫と変わらなくなりました。カラスと色と体長がよく似ているので、顔見知りのカラスからは、少し変わった飛べないカラスと思われているようです。
運河の鴨
淀川は、宇治川、桂川、木津川の三川が合流しているので、川の長さに比べて流量が多くなります。寝屋川も支流の一つで、かつて江戸時代には大和川も支流でした。その寝屋川は分流して旧淀川(大川)と合流し、その一つが城北川(運河)で、大川と城北川が我が家の最寄りの川です。
現在、阪神高速道路守口線が城北川の真上を走っています。日照権を守るために座高を低くしたので、城北川は昼間でも薄暗く、日陰に隠れていました。
ところが今日は、鴨が北から飛んできて水遊びをしています。数は多くないですが、和やかな雰囲気です。城北川が以前の輝きを取り戻したようです。
写真では細かく写って分かりにくいのですが、鴨の活気が伝わってくるようでした。
下の写真は、城北運河の水門です。手前が大川側で、水量を調節します。