初秋の観心寺

汗ばむ10月始めの観心寺にお邪魔しました。スマホを忘れたので写真はなく文字のみになりました。
檜尾山の緑に懐かれ、山門から金堂まで、
坂道の参道から見通せます。

 

山門を入った右側の堀で囲まれた後邨上(後村上)天皇旧蹟は、天皇の行宮で一年足らず政務を勤めました。方形の堀に囲まれ、豊かな緑の中の石碑です。後醍醐天皇に嗣ぐ南朝第二代後邨上天皇は、上京敵わず、河内では何度も頓宮を変え、住吉で崩御されました。陵墓は同じ観心寺境内奥の高台に在ります。

石段の上に拝殿があり、さらにその上部の鎮守堂、或は訶梨帝母天堂は、戦国時代後期に再建された重要文化財です。祀られた鬼子母神は、自分の子を守るため他のこどもを食べていましたが、釈迦に諭され、子どもの護り神となりました。 多くの参拝者を集めています。

参道の向い側が中院。楠木正成、幼名多聞丸はここに住し僧滝覚から仏典と学問を学び、兵学は大江時親のもとに8キロの道を三年通って修めました。

空海はこの地で北斗七星の勧請を行い、それらは7つの星塚となって、如意輪観音の収められた金堂を取り巻いています。開運七星巡りも行われています。密教の七星如意輪経には、如意輪観音を中心に七星を配置し、眷属の訶梨帝母天と共に災を取り除くとあります。観心寺の金堂と星塚は七星如意輪曼荼羅を立体的に表しているようです。

地理的に、観心寺は京都東寺と高野山を結ぶ線上にあり、中宿としても栄えました。また、山門の扁額に遺跡本山とあるように、真言宗総本山の金剛峯寺から3席目、神護寺と同格の寺格と言われています。

観心寺役行者が開山した雲心寺でしたが、空海が礼拝石で北斗七星勧請を行った時に観心寺と名を改めました。嵯峨天皇の勅願により堂宇を建立し、 外陣扁額は嵯峨天皇によるものです。後に楠木正成は、後醍醐天皇の勅許により外陣造営を勤め、間口を五間から七間に広げました。昭和の大修理を経た国宝の金堂は、朱丹の映える壮麗な建物です。
内陣は、秘仏如意輪観音を中心に脇侍がやはり秘
仏の不動明王愛染明王、その前面を、多聞天持国天増長天広目天の四天王が護り、中央の須弥壇の両側に金剛界曼荼羅胎蔵曼荼羅壁が立てられています。
如意輪観音は意のままに願いを叶える宝珠を有し、精神を集中し説法して衆生の苦を取り除き利益(りやく)を与えます。六本の腕のうち、第一手は頬に当て思惟し、第ニ手は宝珠を持ち、第三手は数珠を持つ、左第一手は法輪を持ち、第二手は地に触れ、第三手は蓮の蕾を持つ半跏像です。国宝ですが、他の明王、四天王も重要文化財です。
秘仏開帳が待たれますが、果たして見ることと見ないことに、どれだけ差があるのかと思うこともあります。でも、一度は目にして拝礼したいと感じます。

一仕事を終えた心持ちで金堂を後にします。隣の弁天堂は、四天王と共に国家を守護する弁財天を祀っています。さらに阿弥陀堂へと続きます。 密教では全ての存在を5つに分け、その根源が五仏の如来大日如来阿弥陀如来がそうなります。五仏は五蘊の認識作用とも考えられています。また阿弥陀如来が成仏する以前は法蔵菩薩であり、師匠は世自在王仏ですが、観世音菩薩とは同門になるそうです。


その向かいが茅葺の建掛堂です。楠木正成は三重塔建立を発願しましたが、湊川で敗死したため、造営中の一階部分だけが、茅葺きのまま残されました。そのため建掛堂と呼ばれますが、裳裾の木組は堅固で、壮麗な三重塔を想わせます。内部には大日如来が安置され、弥勒菩薩宝生如来、釈迦如来薬師如来は霊宝館に収蔵されています。

居並ぶ伽藍を見ると、先の拝殿は、金堂、訶梨帝母堂、弁天堂、阿弥陀堂、立掛堂の諸菩薩、如来の拝礼のための建物であったと思えてきます。

石段を上ると、観心寺を開いた弘法大師を祀る御影堂。隣の行者堂は雲心寺(観心寺の前身)開基の役行者が祀られています。

石段を上った所に後村上天皇檜尾陵があります。

観心寺を開いた空海の弟子である実恵は開山堂に祀られますが、本願堂とも呼ばれています。後に実恵は東寺一長者(管長)となりましたが、最期は観心寺で亡くなり、実恵は道興大師として開山堂の後で御霊を祀っています。共に観心寺創建に尽力した真紹は、実恵より潅頂を授かり東寺一長者となって、永観堂を創建しました。


楠木正成首塚は、湊川神社の戦いで敗れ、その首は京都で晒されましたが、勝者の足利尊氏はその首を観心寺に送り首塚として弔いました。正成の旗印は「非理法権天」と呼ばれています。

新待賢門院は後醍醐天皇の側室で、後村上天皇のご母堂ですが、その墓は後村上天皇陵と少し離れた所に祀られています。

霊宝館には、多くの重要文化財が収められ、圧倒されてしまいます。それらの内二体は京都国立博物館観心寺展に出品中でした。楠木正成の書状が展示されていますが、名筆で美しい書体だと思います。正成の人柄が偲ばれます。

ゆっくり、充実した拝観が叶いました。観心寺のガイドさんのお陰です。有難うございました。